総面積105.6haの大阪城公園中心部に位置するランドマーク。公園内には緑豊かな「市民の森」や「西の丸庭園」などがあり、四季を通じて多くの人が訪れる。別名は「金城」または「錦城」。現在の天守閣は1931 年、大阪市民の寄付によって復興された。天守は鉄骨鉄筋コンクリート造の地上55 メートル、5層8 階建て。天守閣の夜間照明は1931年の復興時から断続的に実施。1952年以降は原則として連夜の点灯となり、1957 年にカクテル光線が採用されるなど幾度かの改修を経て現在に至る。1997年から行われている現行の照明デザインは鯱や飾り金物等を効果的に輝かせているほか、日没直後の一部点灯からフル点灯、そして夜が更けるのにあわせて天守閣の窓明かりを残しつつ段階的に消灯していくといった、時間毎に変化する演出が特徴。公園内では天守閣のほか、城内の古建造物のライトアップ、夜桜ライトアップも行われ、夜の大阪城を魅力的に演出する取り組みがされている。
坂本龍馬や板垣退助をはじめ、著名人を数多く輩出する高知県。 その歴史を語る上で欠かせないのが、天守閣・追手門以下15棟の建造物が国の重要文化財に指定されている高知城である。国内に残る木造の12古天守のひとつで、天守閣は高さ18.5mの3層6階、初代土佐藩主山内一豊によって1603年に築城された。1727年の大火で消失したが1748年に再建。火災や震災、明治維新や太平洋戦争など幾度の危機を乗り越え、創建当時の姿を現在に残している。また高知城は天守閣と追手門が1枚の写真に無理なく収まり、追手門前は絶好の撮影スポットとしても有名。同施設最大の魅力は、城のライトアップも去ることながら、四季を通じた積極的な夜間イベントの実施である。春の時期は高知城を彩る「高知城花回廊」。追手門から天守閣までのメイン通路に飾り付けられた生け花などのライトアップや灯篭の設置、桜へのライトアップなど、会場全体を豊かに彩る。夏の「高知城夏の夜のお城まつり」では風鈴とカラーキャンドルのコラボレーション。秋の「高知城夏の夜のお城まつり」は、城のライトアップと蝋燭の灯りによる風情豊かな灯りイベント。冬は「高知城冬のお城まつり」が開催され、キャンドルを灯した幻想的な会場で本丸や二ノ丸に対して様々なイルミネーションなども施される。これらの夜景観光に対するおもてなし精神の成果が、日本三大夜城にも選ばれた理由として大きい。
高田城は1614 年に松平忠輝公が築城。城を含めた高田城跡公園は県の史跡に指定され、文化施設やスポーツ施設、外堀を巡る遊歩道など、市民憩いの場とされている。同城が三大夜城に認定された最大の魅力は城のライトアップと夜桜との景観美。その歴史は1909 年、在郷軍人会によって2200本の桜が植えられたのが始まりで、現在は周辺を含め約4000本の桜が人々を魅了。1926 年、高田市保勝会の主催による第1回観桜会では、堀に沿って数百のぼんぼりが付けられた。現在は「高田城百万人観桜会」と銘打ち、高田城三重櫓と桜の夜間ライトアップを実施。約3000 個のぼんぼりの灯りと相まってお堀の水面に映えるその優雅な光景を求め、全国各地から足を運ぶ人も多い。また、青森県の弘前公園、東京都の上野恩賜公園と並び「日本三大夜桜」とも言われている。桜並木のトンネルをライトアップした 「さくらロード」も人気名所のひとつだ。第1回観桜会後発行の絵はがきには夜桜写真と共に「日本三夜景」と紹介され、1967年発行の読売新聞では、長良川のウ飼い、厳島の灯ろう流しとともに高田夜ザクラは、『日本の三夜景』という記事が掲載されていたという。つまり「日本三大夜桜」のルーツは「日本三夜景」であると認識されていた。これらの説は日本特有の夜景鑑賞文化を伝えていくことや、三大夜城の事由としても大きな価値に値する。