1614 年に松平忠輝公が築城。城を含む高田城跡公園は県の史跡に指定され、文化・スポーツ施設、外堀を巡る遊歩道などを有する市民憩いの場だ。同城は唯一、2回連続で「日本三大夜城」に認定。最大の魅力は城のライトアップと夜桜を含む自然との景観美である。その歴史は1909 年、在郷軍人団によって2200本の桜が植えられたのが始まりで、約4000本の桜が人々を魅了。1926 年、高田保勝会主催による第1回観桜会では、花見会場をはじめとして数千のぼんぼりが付けられた。現在は「高田城址公園観桜会」と銘打ち、高田城三重櫓と桜の夜間ライトアップを実施。約3000 個のぼんぼりの灯りがお堀の水面に映えるその優雅な光景を求め、全国各地から足を運ぶ人も多い。桜並木のトンネルをライトアップした「さくらロード」も人気名所のひとつだ。また、青森県の弘前公園、東京都の上野恩賜公園と並び「日本三大夜桜」とも呼ばれている。第1回観桜会の会期中には、当時の高田市長川合直次が『高田日報』紙上で長良川の鵜飼、厳島の灯籠と並ぶ「日本の三夜景」と表現している。「日本三大夜桜」のルーツは「日本三夜景」であるというこれらの説は、日本の夜景鑑賞文化の発展や、日本三大夜城の事由としても大きな価値に値する。
岐阜市のシンボル、標高329m(国土地理院の三角点の標高)の金華山にそびえる山城。かつては戦国時代の英傑、斎藤道三や織田信長の居城であった。山頂城郭と山麓の居館、登城路や山中の砦など、山全体が天然の要害としての機能を備える。1956年に鉄筋コンクリート造の3層4階構造の天守として再建。現在は麓の岐阜公園から山頂まで「ぎふ金華山ロープウェー」で結ばれ、アクセスも良好だ。「岐阜城パノラマ夜景」と冠したイベントでは、岐阜城とロープウェーが共に夜間延長営業を実施。年間を通じて実施している城郭ライトアップもイベント時は減灯することで、天守閣からの夜景鑑賞を邪魔しない取り組みを行っている。「日本三大夜城」に認定された最大の魅力は、天守閣から望む雄大な濃尾平野の大パノラマ夜景だ。眼下の岐阜市街から遠方の名古屋市街の高層ビル群さらには、伊勢湾まで散りばめられた光模様は宝石箱に例えられるほど。煌めきに加え、ダイナミックな奥行きを感じさせる構図も特徴的だ。贅沢な夜景を眺めるだけで、まるで自分自身が一国一城の主になったような気持ちで夜の世界に浸れるだろう。また初夏から秋にかけて、ぎふ長良川鵜飼の篝火が水面に揺らめき、幻想的かつ趣ある風情を漂わせる。「日本百名月」にも認定され、中秋の名月には岐阜城と月を重ねて撮影する夜城も新たな観光コンテンツとして注目されている。
なお、岐阜城天守閣は改修工事のため、令和8年5月19日から令和9年10月下旬まで休館を予定している。
松本城は、かつては「深志城」と呼ばれ、戦国時代初期の永世年間に信濃守護小笠原氏の本城である林城の支城の一つとして築城されたといわれている。天守5棟は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて建造され、現存する五重六階の天守としては日本最古である。天守が建つ本丸は内側から「内堀」「外堀」「総堀」と呼ばれる三重の水堀に囲まれ、本丸北側では内堀が外堀と接続し、一体化している。戦国末期に鉄砲戦を想定して造られた天守は、弾丸を通さぬ厚い壁をもち、狭間を115も備え、堀の幅は鉄砲の有効射程と同様の60m前後となっており、戦いに備えた造りである。各階とも外壁上部は大壁づくり城漆喰仕上げ、下部は下見板張りに黒漆を塗っている。その姿は、白と黒のコントラストが美しい。明治の大修理後の昭和11年に旧国宝に指定され、昭和27年文化財保護法により4つの国宝城郭のひとつに指定された。松本城は幾度の存続の危機を市民の情熱により乗り越え、戦国時代そのままの天守が現在まで保存されている。長きに渡り、松本城の解説・案内を行うボランティアガイドや、天守の床を磨くボランティア、地元の小中学生による清掃など、多くの市民の力に支えられているのだ。夜間のライトアップは、白と黒の城のコントラストをより鮮明に際立たせ、闇の中に荘厳な姿が浮かび上がる。「日本三大夜城」に認定されたひとつの要因としては、単なる城のライトアップとしての魅力だけではない。春の時期に催される、天守と本丸庭園の桜のライトアップイベント「夜桜会」、冬の恒例となったプロジェクションマッピングや氷彫フェスティバル、天守ナイトツアーなど夜景観光における様々な取り組みを積極的に実施している点も評価された。
